「親のせい」と思っていた私。自己肯定感の低さと人付き合いを振り返る

これから

私は、自分に自信が持てないことや、人付き合いがうまくいかないことに、親との関係が影響していると感じています。

「大人になってまで、親のせいにするの?」

そう思う方もいるでしょう。ですがそれでも、私にはそう感じる理由があります。この記事では、これまでの経験を振り返りながら、当時の気持ちと今思う事を書いていきます。

自己肯定感の低さと「親のせい」

  • 気が弱い
  • 相手に強く言われると自分が間違っている気がしてその場で言い返せない
  • 褒められても「気を遣ってくれているだけ」と思ってしまう
  • 何かを始める前から「自分には無理」と考えてしまう
  • 自分の長所や、できていることを認められない
  • 嫌われるのが怖い
  • 自分の気持ちより、相手の機嫌を優先してしまう
  • 意見が違っても、相手に合せてしまう
  • 失敗すると「やっぱり自分はだめだ」と自分全体を否定してしまう
  • 相手が自分を必要としていると思えない
  • 人に認めてもらえないと、自分に価値がないように感じる
  • 人からどう思われるかが気になり、失敗したときのことばかり考えてしまう

自己肯定感が低いことには、少なからず親の影響があると思います。

例えば、ドラえもんの「のび太」の様な子供とします。

失敗した時、「やっぱり、失敗すると思った」「あなたは何やっても駄目ね」「〇〇ちゃんはすごいのに」と言われながら育つのと、不器用な子とわかっていても「頑張ったね。失敗が教えてくれることたくさんあるよ」「応援してるよ」「どんな時もママは味方だよ」と声をかけ続けられ育つのでは大きく違うと思います。

幼い頃は、親の言葉をそのまま受け止めて「自分は何をやってもダメなんだ」と思ってしまうこともあるのではないでしょうか。

実際に私も、学校や習い事、部活の結果を出す以外で褒められることがなく、否定され、比較され、育ちました。何かあると「お前のせいでこうなった」と言われ深く傷つきました。その結果、自分は愛されていない、何もいいところがない人間だと自分を責めていきました。本心を口にしようとすると声にならなく、涙があふれだしうまく言えない。人に合せてばかり、いつも自信なく、人に、特に恋人に依存していました。幸いなことにいじめられたことはありませんが人付き合いも下手でした。友達が多い様に見えても、本当に友達と思える人ができたのは20代中盤ぐらいだったと思います。

恋人に依存していた私

友達の顔を窺うのに、恋人のような距離感になると反対でした。どんなひどい自分でも受け入れてほしい、愛されたい。そんな思いから、無意識に相手の愛情を試すような行動をしていたのだと思います。相手に押されて付き合うことも、好きという気持ちより寂しさから付き合うこともありました。それでも、自分のすべてを受け入れてほしいと求めていました。

私が求めていたのは、何をしても見捨てられない、無条件の愛だったのだと思います。親に求めていた愛情を、恋人に求めていたのかもしれません。

同じ親から育っても性格や、環境で影響が変わる

同じ親に育てられた兄弟姉妹でも、親との関係や家庭の立場、性格、家庭の外で出会った人などは違います。

  • 兄弟姉妹と比較されることが多かった
  • 同じことをされたり言われても深く傷つく人、それほど気にならない人の違い
  • 親や兄弟姉妹の顔色をうかがい、気をつかっていた
  • 家庭の外に、自分を認めてくれる人や安心できる居場所があった

同じ親に育てられても、同じように傷つくとは限りません。

「親のせい」それでも生きていく

今ここで記事にしてはいますが、自分は普段「親のせいで」でという話や過去の話をすることはありません。でも、それの影響で、自分が長く悩み、模索してきたこと、メンタルを崩したと思う事はこの先も変らないと思います。

しかし、若い頃思っていた「親のせい」もその後少しずつ形を変えていきました。若い頃は親や環境が違っていたらもっと楽に生きられたのに、自分は価値のない人間と思わないでいられたのに、もっと違う人生だったのに、と当時は、親を責めるばかりでした。

それが、たとえ「親のせい」だとしても「自分を助けてあげたい」と考えるようになっていきました。誰かにわかってほしいという、気持ちが、少しずつ 自分で辛かったことは、自分で受け止めてあげよう へと変わっていったのだと思います。

当時、私は心を壊していましたが、どん底で孤独の中、「このまま人生が終わるのは嫌だ」と少しずつ現実を受け止めていったのだと思います。そこから這い上がる数年は、病んで塞いでいた数年よりも過酷でした。

自分で自分を認められるまで

そして最後に。

実際私は親に愛されていたと今は思います。でも、私には伝わらなかったのだと思います。

ですが、親も人間です。親にも、想像つかない辛い背景があったのだと、今は思います。ですが幼い私には、普通の家と違うとわかってはいても、本当の意味で理解することはできませんでした。

昔見たテレビで誰かがこう言っていました。子供の心は「ざる」だと。たくさん愛情をもらっては隙間から流れていく。愛情を注ぎ続けることでザルの目が徐々になくなり、いつしか器となりこぼれるほどの愛情でいっぱいになるそうです。

わたしの心は大人になってもザルのままだったのでしょう。私はそのザルの目を周りに支えられながら少しずつ少しずつ自分で塞いできたように思います。

今でも完全に乗り越えたとは思いません。ですが、自分を責めることは明らかに減り、自分に多くを求めなくなっています。誰かに認められることよりも、自分で自分を認められることが、1番の自信につながるとわかったからです。それを頭で理解しても、心で理解する入り口に立つまでに長い時間がかかりました。

私は、育った環境を変えることはできなくても、今の自分を受け入れようと思うようになりました。そして足りないピースは一生をかけて自分の足で拾い集めるしかないとも思いました。

私は今の自分が1番好きです。そして、支えてくれたみんなに感謝しています。

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